地下潜

ネガティブファイター

昔の日記帳は埃っぽい

昔の日記帳をよく読み返す

昔の自分と会話できる手段をちゃんと残しておいてよかったーと思う反面、日記に書いたことって大抵忘れてないんだよ〜と思う

けどそれって日記に書くことによってアウトプットしてるから忘れていないのかも 効率的な勉強法だね

 

この前のアルバイト中考えてたこと↓

※この先エログロにつき閲覧注意

 

 

 

 

今の私はいろんなこと忘れて新しい生活に向けて頑張ったりしてる中で段々と楽しかったり幸せになれるような気がしているけど、簡単に幸せになんてなっていいのかなと思う

高校生の時たくさんあった辛いこと、全部が全部忘れたいわけなんてなくて、久しぶりにあの子のことを考えてた

大好きで大好きで大好きだったのに、いろんなことが絡まってこんがらがってあっという間に破綻して、悲しくて毎日泣いていた

ほんとう生きること全部がどうでもよくなって、あの子がいないならなにもかもが意味が無い気がした

あの子との出会いだって「あの店なら会えるけれど そうじゃない街角で偶然会いたい」的な出会い方だったし、なんならもともと知り合いだったし、だからこそ絶対あんなに仲良くなることはないってわかってたから、初めてお喋りできたときがうれしくて、けど次の日からは話しすぎちゃったことでぎこちなくなっちゃうのかなって、そう思ったけど2人とも照れてただけで、それからも親友だねって言ってくれて、はじめて他人が私に向かって言う「親友」って言葉を信じれた

あのとき信じちゃったからこそどんどんその先が辛くなったんだけど、

 

あの子がいなくなってからは毎日が地獄で、帰りの1人のバスの中はいつも泣いていたし、思えば誰かを思って泣くことなんてあのときが初めての経験だった

あのときはひたすらBiSHのオーケストラを自分に重ねて聞いて見て、泣いてた

だから今でもオーケストラを聴くと少しだけちくっとする

ほんの少し前まであの子のことを考えるとやっぱりひりひりした感覚が蘇ってきて苦しくて苦しくてたまらなかったのに、そういう感覚が気づかないうちに蒸発してなくなっていて、その事が私は1番悲しかった

私の中からあの子が完全にいなくなったみたいで、わたしは後ろを向かなくてももう生きていけるようになってしまったんだって、そのことが無性に悲しくて寂しくてたまらなかった

 

あのこがいなくなってから本物の自暴自棄になって、主に家族に嫌な思いをたくさんさせて、もっと高校が嫌いになった

あのときみたいに相談出来る相手を失った今、その捌け口がどこにあるのかまったく見失っていたからやけになってた

あの頃の自分だけはほんとうに殺したいと今でも思う

それまで、目立たないし静かだしつまらなかったけど自分の人生に傷なんてついてなかったはずなのに、あのとき確実に自分の人生に傷をつけた キズモノになった

わたしの人生に似合わないことばかりだった それでも私なりにあの子への反抗心とかそういうつもりだった

あのこがずっといてくれたら、絶対こんな間違いしなかったと確信できるのに

 

いつかあのこと2人で帰ってる時に、お菓子をいっぱい食べすぎたからご飯は食べれないな〜みたいなこと言ったら「ママが可哀想だから」って言ってご飯を食べるためにとっとと帰っていったことがあって、私優先してよとか全然思わないで、この子は本当に本当にいい子なんだなと思ってもっと好きになった

 

電車通学ってほとんどいない学校だったから、私とその子は同じ駅に向かって自転車漕いで、と思ったけど確かその子は自転車じゃなくてバス通学だったから雨の日だけは一緒に帰ってたのかな

駅のホームの自販機で日向夏サイダーを飲んでた

日向夏ってなんだろうって2人で笑ってた

日向夏って単語を見るとやっぱり未だにその子のことを思い出す

だけど昔みたいに心が痛くはならなくなったけど

 

ほんとうに、胸が張り裂けるって表現があるけどそんな感じだった どこにもどういうふうにも追い出せない心の中のざわざわした何かが暴れまくるけど泣くことしかできずに、いろんなところから穴が空いて吹き出してしまえばいっその事楽だったのかもしれない

他人といることの楽しさをはじめて知ったときだったから、また1人になることが怖かった 

 

定演でももクロの怪盗少女を踊った

そのメンバーにその子もいて、緑の役をやってた

定演頃にはもうほぼ消滅してて、部活中もなるべく顔を合わせないようにしてやり過ごさなきゃいけないから、正直全然部活どころじゃなくてそのことの方がよっぽど辛かった

定演終わりにももクロ踊ろう!と誰かが言い出して、その時にあの子が私に話しかけた記憶があるような、話しかけると思ったけどちがったんだったかな、

その子はそれきり部活をやめて、もう顔を合わせることはなくなると思っていたのに、、

 

2年生になって新しいクラスでその子と一緒になって、2年生が多分1番の地獄だった

クラスで一人でいる私の事なんて部活の誰にも知られたくなかったのに、相変わらずあの子はどんどん交友関係の幅を広げていて、ちゃんと面白い子として機能していてみんなからの人気者だった

たぶんあのクラスで誰も私とあの子がもともとすごく近い関係にいたことなんて知らなかったと思う

共通の知り合いってのも部活の子しかいなかったし、それ以外の人達が知る由もなかったと思う

 

地獄の2年生でたくさん傷を作って心が不安定なんてかわいい言葉で済まされないほど酷いことたくさんした 誰よりも私自身が、今の私が傷つくことなんて、あのときの私は知るはずもなくて、今もずっとあの時の悪行がバレませんようにって、楽しいこととか幸せになれるかもって予感がすると蘇って私を脅かす

けど全部、バカなわたしのせいだから、死ぬまでずっとこの傷を背負っていかないといけないね

 

3年生になってやっと全部から解放されるべく私大クラスを自ら志望してあの子と顔を合わせることは本当になくなった

それなのに、体育の卓球で運悪くその子も卓球を選んでたみたいで一緒になった

3クラスずつの合同だった、私は5組であの子は7組だった

試合は負けた人は下のテーブル、勝った人は上のテーブルってどんどん回ってく感じで、私は卓球どうこうよりなによりもあのこと試合が当たらないようにすることだけに気を張っていた

けど正直わたしは運動まったくできないから加減もなにもできることなくほとんどずっと1番下付近のテーブル(行けても下から2番目)で戦っていて、それなのにあの子が負け続けて下のテーブルに来て、対戦した

あくまで知らない喋ったことないもの同士の2人を演じてた

ぴりぴりした空気、周りのひとたちはそんなことも知らないからこの異様な試合の異常さには気づかないし、ただただ苦しかった

1年生の頃、もしこうやって卓球の試合で当たったらうれしくて、周りの子たちに私はこんな子と仲良いんだよーってたくさん見せつけてたと思う

 

卓球の試合の度に楽しかった時のことを考えて思い出して、そのたびに一緒に卓球できてることすら幸せなことのような錯覚を起こしてた

 

卒業前、ずっと下駄箱に手紙を入れることを考えてた 結局卒業までわたしはずっと苦しかっただけで、あの子のことを嫌いになったわけじゃないことを知ってたから 今の気持ちは無視してでもあの頃の感謝を伝えなきゃいけないと思ってた、けどやっぱり、それはきっと怖いことなんだろうと思ってやめた

絶対、ただでさえ怖がられてる気がしたから、もうこれ以上怖い思いさせたくなかった

これ以上嫌われることは構わなかったけど、あの子とわたしには共通の友達がいたし、変な噂をあの子に流されることもごめんだと思ったし、それに今のわたしもあの時手紙を渡せなかったことを後悔している訳じゃないなら、別に渡さない選択で間違っていなかったんだと思う

 

 

それから大学にはいって、誰も知り合いもいなかったからうまく新しいキャラクターで周りに溶け込んだフリしてその子とのことも全部忘れようとしてた

けど、やっぱりどんなに時間が経ってもずっと忘れられなくて、大学に入ってからも何回かその子のことで泣いた

それなのに、忘れることが出来てしまった

まだ、卒業してから4年しか経っていないのに、忘れてしまった

自分の薄情さを感じた

やっと忘れられたという安堵の気持ちはそこになくて、あのときの辛い気持ち全部忘れた自分のことを自分自身が許せなかった

あのときだけじゃない、あのあとのことも全部、そういうの忘れて楽しかったりうれしかったり幸せになろうとしていく自分のことを、誰も許してくれないと思う

家族も、あのころの私も、先生たちも

みんなみんな

だからやっぱり、わたしはこれから先もずっとひとりで構わないと思う

素敵な恋愛をして結婚をして子供を産んで…という将来は見えなくてもいいと思う

現世ではもう許されないから、現世はこのまま静かにひっそり生きてひっそりと死にたい

だからただひとつ、幸せだと感じる瞬間があったとしても、それはただの勘違いで、自分は絶対普通じゃないから、そういうこと全部を忘れたふりして生きようとするズルい人だけにはならないでください

新しいことがたくさんはじまって、案外うまくいっても、おまえはバカだから何も信じてはいけない

それだけは絶対に忘れないでください